uru-osu’s diary

教員6年目。思ったことボソボソ呟く。

「考えるのをやめてはだめです。」

どうも、ウルオスです。

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ツーブロック禁止の校則がちょこっと(?)話題になっていますね。

news.yahoo.co.jp

 

ちなみに僕は大学生の頃から教員2年目まではずっとツーブロックでした。

ツーブロックやめたのは、別に誰かに注意されたわけではなく、なんとなく、です。

 

もちろん教員採用試験も、管理職との面談も全部ツーブロックで行きました。

服装だって、ジャケット持って行きませんでした。

みんなジャケット来て汗流している中で、一人わりと涼し気に試験受けてましたよ。

バッグも斜め掛けのバッグだったな。

 

周りからしたら「こいつ舐めてんのか。」と思われていたな、たぶんな。ごめんなさい。

でも猛暑日にジャケットまで着て、汗だらだらで面接受ける方が不快じゃないか?自分も相手も。

大学生の頃から、そうやって考えてた気がします。

 

お節介すぎるしょうもない校則、❝周りに合わせなきゃ❞というしょうもない雰囲気。

みんな一緒。そう、この世は(特に日本は?)同調圧力で溢れているのです。

もう幼い頃から「型」にはめられ、大量生産の一部になっていたのではないかとも思います。(この表現が適切かどうかは何とも言えない。)

 

世の中には「しょうもない」と感じることがたくさんあります。

そこに合わせるか、個をだすか。

あなたならどうしますか。

バランスが大事ですが、そこに「信念」があるかどうかが大切です。

 

 

さて、今日は以下の記事について。

www.kyobun.co.jp

先進的な取り組みにも❝待った!❞

特に今回は、中盤の”オンライン授業”などに関する部分からを取り上げます。

 

横並び意識の強い管理職や同僚の反対に遭い、居心地の悪い思いをした先生もいるようです。 

 

臨時休校中にオンライン授業やオンライン朝の会の導入に向けて奔走してきた先生の多くが途中で挫折していました。

その原因の一つ(大半?)がこれです。横並び意識。

 

悲しいですよね。

「みんなを困らせてやろう!」と思ってオンラインを進めてきたわけではないはずです。

学びを止めない。さらに先へ。カルロス1世風に言うと…いや、とあるまんが風に言うと「Plus Ultra!」という感じで進めていたのではないでしょうか。

 

 

僕も校内で様々なICT機器を活用した授業を提案してきましたし、オンライン朝の会実施を実現するために奔走しました。

その度に、立ちはだかる「横並び意識」「ベテラン勢の壁」「振りかざされる”公平”という歪んだ正義」「損得勘定」etc.

 

ため息が出ます。

確かに従来通りは楽だけれど、今一度「それでいいのか。」と問い直したい。

 

メッセージから考える

 

――教育現場で同調圧力に立ち向かう先生に、メッセージを。
同調圧力に屈することは、思考停止と同じです。「考えるのが面倒、もしくは怖い、だから考えない」という発想で、先生が考えるのをやめてはだめです。考え続けて、勉強し続けなければいけないと子供に示すことが、先生の一番の役割。先生自身が思考停止に陥るなど、ありえないナンセンスです。人と違うことをしようとすれば、いろいろと面倒なこともあるでしょう。同僚が遅くまで職場に残っている中で、自分だけ「家事や育児があるので、家に帰ります」と言うことは難しいかもしれません。ただ、空気を変えていきたいと願うならば、人と違うことに耐えることが大事です。それから、人がそういうことを言ったときにも、「俺が学校に残っているのに、どうしてお前は先に帰るんだ」などと言わず、人が自分と違うことを許すことも重要です。自分が人と違うことに耐える。それから、人が自分と違っていることを許す。これができれば、きっといろいろと変わってくると思いますね。

 

 記事の一部を載せます。

皆さんは、どのようなメッセージを受け取りますか。

 

「先生が考えるのをやめてはだめです。」

僕はこの言葉を特に強く受け取りました。

 

自分が「横並び意識」と捉えていることも、例えば管理職からしたら、周りと折り合いを付けながらも学校を支えていくための大切な要素、なのかもしれません。

 

「新しいものが良い」「古いものはだめ」ではありません。

いろいろな角度から見つめていかないと、他者の考えを受け止められなくなります。

考え続けましょう。自分なりの最適解を探し続けましょう。

 

いかに良さを見ていくか。

そして、お互いの思いが重なる着地点をどのように見つけていくか(折り合いをつけていくか)なのかもしれませんね。

 

終わりに

思いのままにいろいろ書いてたら何を伝えたかったのか分からなくなってしまいました。すみません。

 

とにかく、、、

同調圧力って少なからずあるのでけれど、一つの考えに囚われないで、ということは伝えたい。

考えて考えて、考える必要があります。

それでも、時には「ごり押し」で進めないといけないときもありますので、タイミングが大切。

 

文字にすると、自分の中の矛盾に改めて出会えます。

まだまだこれからもこんな「もやもや」と向き合いながら、自分の中に浸透させていくことになりそうです。

これもまた楽しいのです。

この過程できっと「信念」が生まれてくるのかなあ。

 

 

空気を換えるような人がたくさん出てきてほしいし、自分もそうでありたいと願います。

学校を風通しの良い場所に。

 

今日は、伝えたいことがまとまらないウルオスでした。

(いつもまとまってはいない。)

では、また。

いのちだいじに

どうも、ウルオスです。久しぶりの投稿です。

 

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

そろそろ所見シーズンですよね。憂鬱すぎて震えますよね。

授業に所見に、校務分掌に、その他事務作業に、、、、頭抱えます。

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ただ、僕の勤務校では

・いつも通りの総合所見は200字程度。

・道徳、総合的な学習の時間の所見はなし。

 

つまり、作業としては例年の3分の1程度。

 

皆様の勤務校はいかがでしょうか。

 

 

…ということで、今日は所見のお話を書きます。

先に言っておくと、所見の文章は「担任が信念をもって書いた(気持ちのこもった)文」であれば、本来手直しなどいらないと思っています。

これから書いていく中には一種の”諦め”が入っていますので、毎回の所見を楽しみながら(ワクワクしながら)書いている方が読むのは推奨していません。

 

 

 

そもそも、所見って何?

所見は(僕の感覚としては)その学期で頑張ったことなどを一定の文字数でまとめた”言葉の贈り物”です。

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どんなことを書くのかというと・・・(ざっくりとですが)

・学期の中で、その子がどのようなことに取り組んだのか

・どのようなことを頑張ったのか

・どのような成長をしたのか

・課題(僕はほぼ書いたことがありませんが)

・次年度(次学期)への励まし

 

このような視点で、一人一人に的確かつ意欲が高まるような言葉を送ります。

(これが難しいのです。)

 

所見を書くときにすべきこと

まずは情報を整理しましょう。

・その子がどのような人なのか。

・得意なことは何か。

・最近頑張っていることは何か。(学校での生活、放課後)

・クラブや委員会での様子はどうか。

・学級での当番や係、諸活動への取り組みの様子はどうか。

・苦手としていることは何か。

など、情報がなければ書くことができません。

 

適当なことを書けば、子どもたちや保護者に見抜かれてしまい、信用失墜します。

 

そのために!!

情報整理の仕方はパソコンでやろうが、紙媒体でやろうが構いませんが、早い段階から子どもたちの様子を記録しておくことが大切です。

 

その情報を頭に入れて接することは、学級経営にも生きてきます。

 

 

早く終わらせるためにすべきことは?

①文例集を参考にする。

https://edupedia.jp/article/53233f91059b682d585b62af

 

どの子も輝く!  通知表の書き方&所見文例集 小学校高学年
 

 所見の書き方の文例集は、もうこの世に溢れているのでそちらを購入するのもよいかもしれません。

 

ただ、大切なのは「目の前の子どもたちの姿を思い描いているか」です。

文例集に乗っている言葉は、書いた人が目の前の子どもたちの姿を思い描いて書いてきたものです。

それを頭に入れておかないといけません。

ただ楽をするために文例集を活用すると痛い目を見ます。

 

ちなみに、僕も所見の文例集の本を先輩からいただいたことがありましたが、読んだことはありません。(先輩…ごめんなさい笑)

 

 

②「所見の書き方の傾向分析」をする。

ぼくが所見を書くときにすべきことNO.1だと思っていることです。

なぜかというと、文例集を参考に書いたことでも管理職チェックで弾かれることがあるからです。

そう、悲しいことに結局は管理職好みの文章に直されてしまうのです。

直すのはとてもストレスです。

本音を言うと「こんなに気持ち込めて書いたのに直すなよ!」と思うときもちょっとあります。(保護者も読むものなので仕方ないのですが)

 

管理職も忙しい時間を割いてみてくださっています。

できるだけ直しを少なくすることも早く終わらせるためには大切。

だからこそ「こだわりポイント」を見つける必要があるのです。

 

教員一年目の方は特に、先輩方から昨年度の所見を見せていただくことをおすすめします。

そこから管理職好みの表現(使える表現)を分析しましょう。

できれば管理職に提出した所見の下書きを見せていただくのが一番良いです。

直しをされている部分の傾向分析はとても役立ちます。

 

 

先輩方に見せていただいた所見の文言をそのまま使っては、ただのパクリです。

前述したように、目の前の子どもたちの姿を思い描けているかが大切なので、文例集も含めて、”参考程度”に留めておきましょう。

 

参考にしながら、自分のクラスの子バージョンにアップグレードしていくのです。

 

提出前には、事前に学年で見合うこと

管理職への提出前には、必ず学年で見合いましょう。

他の先生方の所見はとても勉強になります。

素敵な表現を見つけて、自分の蓄えにすると、次回の所見に生かすことができます。

 

また、学年で見合うことによって、管理職チェックで直される文言も減りますし、自分の文章に自信をもつことができます。

(それでも学年全体で管理職から弾かれていた現場も見たことがあるので安心はできませんが。)

 

注意!命削るべからず。

所見シーズンは精神的にストレスがかかりますし、所見を仕上げるために残業をすることも多々あるので、肉体的(体力的)にもきつくなります。

 

どの学校にも「命を削って」所見を仕上げる方がいます。だめ。

僕の先輩の名言をお送りします。

「所見は命を削ってまで書くものではない!!!」

 

本当にその通りだと思います。

何のために書くのでしょうか。

大切なのは、所見を書くことではなく、授業や日々の子どもたちとの関わりではないしょうか。

 

じゃあ書かなくていいのか、と言われるとそうではありません。

やりたくなくても、やらなければならないことなのです。

 

だからこそ、今回提案したように以下の二点をおすすめします。

  1. 早めから情報を集める。集めた情報を整理しておく。
  2. 文例集を参考にしたり、所見の書き方の傾向分析をしたり、使える語彙を増やしておく。

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最後に

あなたが所見を通して、その子自身や保護者に伝えたいことは何ですか?

いろいろ思い浮かびますよね。

 

でも、それって所見だけで伝えるのでしょうか。

限られた文字数で伝えられるのでしょうか。

 

僕はあまりそう思いません。

だからこそ所見に時間をかけるのではなく、日々の授業準備や評価、学級便り、学級掲示、何より「子どもたちと向き合う時間」に時間を割くべきなのです。

 

一学期も残りわずかになりました。

少しでも子どもたちの笑顔、そして成長のために時間を使えますように。

時間は有限です。皆様の体力も有限です。

 

今回、具体的な文例などについては触れていません。

何かありましたらコメントでも、ツイッターのDMでもかまいませんので、ご連絡いただければと思います。

 

では、今日も有意義な時間をお過ごしください。

ウルオスでした!

 

小さな波紋を大きな波に

どうも、ウルオスです。

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今日は賛否両論ある課題について。

(日々の宿題のことではありません。)

 

臨時休校が延長となった我が自治体では、追加の課題(3週間分)をゴールデンウィーク明けに出しました。

↓これは4月分。これの3倍くらいの量。

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準備もものすごく大変でした。

できる限り分かりやすいものを…

やってきたものが評価できるように…

そこまでやるのかよって感じ。

 

子どもたちの反応も様々でした。

「まじかよ。」と絶句する子。

「やりたくないーーー。」と手にした瞬間にやる気をなくす子。

「やっと終わったと思ったのに。」と肩を落とす子。

 

そりゃあそうです。誰得?????

 

今必要なのって大量の課題なのか!?

復習プリントなのか!?

と正直思いました。

 

SNSには課題について文句を言いまくる保護者たち。

いやいや、好きでやってないんですぅ…

これでも一生懸命なので察してください…

という感じですよね。

 

ただ保護者としては助かっている人もいるようです。

先日地域巡りをした時にばったり会った保護者から

「課題と時間割を配っていただいたので、それに合わせて勉強できています。ありがとうございます。」

と言われました。

 

びっくり。

ああ、そう思ってくださる家庭もあるよな。

 

 

僕は、宿題はシンプルでいいと思っています。

あえてやるならばある程度の型を渡して、幅をもたせた課題という程度。がいい。

 

 

結局「やらされる課題」を子どもたちは嫌な思いをしながらやる日々。

学びに広がりは出ないし、できる子(やれる子)しか伸びが期待できない課題って何のためにあるのか。

勉強好きになりますか?

楽しいですか?

 

多くの人が「つまらん。」「やりたくない。」って思いますよ。断言。

 

もちろん裏で時数に悩む教務主幹の姿も見てますから、やらなきゃいけないのは分かります。

 

でも、詰め込むことが大切なのではないとみんな分かっていることだと思います。

 

 

文句を言っても仕方ないので、できることをしました。

ちゃんと自分の思いは管理職にも伝えましたし、学年にも伝えました。(伝え方やタイミング大事)

その上でやることを精選して、役割分担。

 

ただの教諭としてできることって小さいけれど、その小さな波紋が大きく広がることを願います。

 

土曜授業も増え、7時間授業もあり、夏休み短縮、行事カット。

元に戻そうとする教育界。

 

リセットする(戻る)のではなく、乗り越えた過去を抱えて先に進む勇気をもっていきたいですね。

 

少しでも進めるように、来週からも働きます。

 

※オンライン朝の会を僕の勤務校ではやりました。

その話もそのうち書きます。(たぶん)

 

 

 

気温の変化、湿度の高低差にやられていないですか。

夏バテという言葉もそろそろ出てきますね。

お体ご自愛ください。

 

ウルオスでした。

選択肢を与える関わり

どうも、ウルオスです。

 

在宅勤務も今週で終わりです。

もう分散登校などで子どもたちと授業している先生方もいる中で、ゆったりとした時間が過ごせているのは幸か不幸か。

子どもたちには会いたい。

でも激務が待っていると考えるとちょこっとだけ気持ち落ち込みます。

なーんて、書いても結局は子どもたちがいると嬉しいんですけどね。

 

さて、今日は「子どもたちの人間関係」についてです。

Instagramでも投稿したので、ブログでは少し詳しく書きます。

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よくこう言ってる人いませんか。

「君たちはケンカばっかりだから、もう離れなさい!」

「明日から○○さんじゃなくて、●●さんと登校しなさい!」

と言ってる人。

 

え、いない?気づいていないだけで、きっといます。(無理やり笑)

 

僕の周りには何人かいるんです。

3年目くらいまでは自分自身も同じような指導を子どもたちへしていました。

 

よくよく考えたら、その発言って、完全に教師の都合ですよね。

子どもたちのため、という正義を振りかざした大人の都合。

離れたことでトラブルがなくなれば楽ですよ、そりゃ。

でも、子どもたちの思いを無視しているような感じがします。

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さて、数年前を振り返って…

初めて6年生担任したとき、11月頃にいじめが起きました。

(薄々感じていたのに、表面化するまで手を打たなかったので大反省)

女子集団の中での仲間外れ。

そのグループの全員が、自分が仲間外れにされたくなくて必死。

怖くて離れられない人もいれば、一人になってしまいそうで離れられない人もいた。

 

時間をかけてできるだけ丁寧に対応しました。

話し合いには学年主任も入っていただきました。

 

「困っていること、苦しいこと、全部吐き出そう。」

「このままじゃみんな幸せにはなれない。」

「誰が何を言っても、絶対に恨みっこなしで話そう。」

などと主任が話すと、出てくるたくさんの言葉。

 

あぁ、こんな苦しい思いをさせていたんだな。と感じました。

 

でも主任は最後まで

「君たち離れなさい。」とか「仲良くしなさい。」とかは言いませんでした。

 

みんなの思いを全部受け止めた上で

「こうしてみるのもいい。」「こういう方法もある。」

などと提案していました。

 

あくまで、選択肢を与えていました。

強制された関係は続かないし、思考停止を生むからだそうです。

 

その話し合いの翌日からは

ある子は男子と毎日ドッジボールで遊べるようになりました。

ある子は「こういうことはやめよう」と伝えられるようになりました。

ある子は別の関係を作れるようになりました。

 

結果的には、その女子たちの関係をそれぞれが見直すことができたので、良かったと思っています。

(もちろん、そのようなことが起きないのが一番)

 

一番仲間外れの被害を受けた子は、仲間外れの中心になっていた子と同じ部活で汗を流しているそうです。

「あの時しっかり話せたから。」と言っていました。

 

一度離れる選択をしても、また仲良くなることもある。

 

大切なのは、関係を強制するのではない。

子どもたちの中にない選択肢を与えることなのだと学びました。

 

 

今後も同じ方法でうまくいくとは限りません。

でも、子どもたちの選択肢を増やしてあげられるような関わり方をしたいなと思っています。

 

 

今日は、少し重たい話でした。

自分にとっても重たい話。

でも絶対に忘れちゃいけない話。

 

 

これを読む皆さんの子供達との関わりを見直すきっかけに、少しでもなれば嬉しいです。

 

子どもたちのこと、たくさん愛してあげてください。

ウルオスでした。

 

無いなら生み出す

どうも、ウルオスです。

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2020年度は始まっても、学校が始まらないモヤモヤがありますね。

 

5月は特にオンラインセミナーにたくさん参加しています。

今までのセミナーよりも意見を求められることが増えたイメージ。

言葉にするって大事なんだよね。アウトプットアウトプット。

受け身だった学びも、より前のめりに。

どんな状況であれ、形を変えて進化していくんだから、学校現場も進化させていこう。

 

子どもたちの成長、心の充実を大切に歩んでいきたいですね。

 

 

さて、今日はウルオス学級について。

Instagramにも書いたことを少し話そうかと。

https://www.instagram.com/p/CAP62CEJg4a/

ウルオス on Instagram: “本の投稿以外にも少しずつアウトプット。 <ウルオス流 学級経営> 無い物はあるもので工夫する。 子どもたちと一緒に生み出す時間はとても豊かな時間です。 教室リフォームは子どもたちの手が入っていると、より教室が居場所になります。…”

 

皆さん、学級のために買い物することありますよね。自費でね。


好きで自分のために買うものではなくて、子どもたちの活動のために買うもの。

ペンやシール、おしゃれなテープなどの小物。

ホワイトボードや何色も入った色鉛筆買っている友達もいました。

折り紙や遊びのグッズとかもね。

 

 

もちろん僕もいろいろ買ってきました。

が、今はほとんど買っていません。

 

初任時代は毎週…いや、週3で100均に通ってました。

買いあさっていました。

ダ〇ソーさん、Ser〇aさんにはだいぶ貢ぎました。

 

が、今はほとんど買っていません。(2回目)

 

 

それは、買わない方が子どもが工夫をすると知ったからです。

 

 

買いすぎると

「先生、あれやりたいから〇〇買って」

という子が出てきます。

買います。

「先生、あれやりたいから〇〇買って」

 

 

繰り返しです。

人の欲は底がありません。怖い生き物なんです。

だからこそ、意図的に遮断する必要もあります。

 

「これじゃダメだなあ」と思った1年目でした。

 

2年目からは買うものを少なくしていきました。

 

3年目には年間で100均行くのは片手で数えられる程度でした。

「去年の先生は買ってくれたよ」と言ってくる子はいましたが、それでも買わない。

どうなるか観察してみました。

 

そしたら面白いことに、自分たちで生み出すようになりました。

ブックスタンドが欲しいなあと話したら、ダンボールで作ってくれました。

バスケの授業した時には、ダンボールで作ったバスケゴールをゴミ箱に設置する児童もいました。

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↑本物ではないです。ネットから引用。

 

基本はゴミは投げないことにはなっていましたが、円の中からは投げられる。でも外したら拾って投げずに捨てる。というルールを子どもたちが話し合ってつくりました。

カードゲーム持ってこられないから、オリジナルを作っていました。

最高学年担任だったこともありますが、ここまでできるかと。

 

これが委ねることの一つの側面なのかもしれません。

 

一定の欲を遮断すると、その欲を満たそうと創意工夫が生まれます。

 

子どもたちの発想の豊かさって素晴らしいんです。

 

今では年間で3回、百均行くかどうか。

自分が好きで買うものはありますが、子どもたちのために買うものはほぼありません。

学校にあるもの、(新しく買わないで)家にあるものでどうにかすることを実践しています。

もちろん保護者にも伝えます。

 

休み時間には一緒に工作しているんですよ。

楽しすぎますよ。

ぜひやってみてください。

 

 

 

でも、勘違いしないでください。

子どもたちの活動の幅を広げようと思って買う人がいてもいいんです。思いがあるからいいんです。

僕はやらないだけ。買わないという選択に思いがあるからです。

 

自分のためには買います。

本もそうですし、特にこれはおすすめです。

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授業ではあまり使いません。

「こういうこともできるよ!」と児童の興味関心をそそる程度。

 

どんどん更新されますし、面白いです!!

皆さんのおすすめもあったら教えてください。

「教員ってどう?」

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どうも、ウルオスです。

 

タイトルのような質問を友達などからされることがあると思います。

皆さんはどのように答えますか?

 

「仕事多すぎてしんどいよ。」

「子どもたちとの時間は楽しいよ(意味深)」

「毎日叱ってばかりだよ、、」

「すっごい楽しい!!」

など、人によって様々ですよね。

 

 

僕は今なら「楽しいよ。」とまずは答えます。

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もしかしたら明日は違う答えになるかもしれないけれど、「楽しい」みたいなポジティブな言葉が初めに出てこなくなったら教員の辞め時なのだと自分で思っています。

 

大変なことありありますよね。

苦しいこともありますよね。

 

でも全体的に見たら、楽しいんです。うきうきするんです。ワクワクするんです。

この気持ちがなくなったら、僕はきっと教員を辞めると思います。

 

今年度のクラスの子どもたち(もしくは昨年度担任した子どもたち)の顔を思い浮かべると、温かい思い出ばかりが浮かんで心が明るくなるので、まだまだ大丈夫そうです。

 

そんな僕ですが、昨年度何度も苦しい時期がありました。

不登校児童対応、ゲーム課金事件からの保護者対応などもあったし、何より年度当初は何に対しても無気力でモチベーションがゼロだったときもありました。

 

感謝なのは学年の先生と今まで仲良くやれてきたことですね。やっぱり(保護者対応もしんどいですが)教員同士の関係が悪いのはわりと地獄です。

 

何はともあれ、試行錯誤、あの手この手で乗り越えてきた一年。いや、今までの4年間。

 

 

今年は5年目で5年生担任。

どんな一年が待っているのだろう。

スタートが遅れはしたけど、子どもたちと濃い一年をきっと過ごせる。そう思うとワクワクせずにはいられません。

 

間違っても「スタート遅れたからフルスロットルでいかなきゃ!!」とか思っちゃダメですよ。最初は徐行で。そこから平常運転にもっていきましょう。

 

子どもたちももちろん初めての体験。不安を抱えています。ぜひ、今までの空白を埋める時間を過ごしてみてください。

 

本日久々の出勤日のウルオスからでした。

土日、ゆっくりお過ごし下さい。

夜中(もはや明け方)だから書けること

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今日はこれ飲んでみました。

甘さの暴力。口内がとろけました

 

 

どうも、ウルオスです。

今日は夜中まで高校時代の友達とzoom会していてこんな時間。プリンの食べ比べ大会をしたりマリオカートやったり、くだらない話したり、本当にどうしようもなく居心地のよい友達に出会えたんだなあとしみじみしちゃうよ。

 

やっぱり夜中になると始まる恋愛の話。

 

皆さんは今、大切に思ってる人いますか?

片思いとかでもさ。

 

そういう人がいるって、切ないときもあるけど、でも、でも、幸せだよね。

 

ウルオスにもいたんですよ。

もちろん外見もタイプだったんですが、何より小さなことにもキャッキャと喜べる無邪気さと仕事や勉強には真っ直ぐ取り組む真面目さをもつ人でした。

 

ただ問題は、その人にはすでに相手がいたということ。

 

切なさ120%なわけです。

 

タイミング。

出会いのタイミング。

 

運命のイタズラとでも言いましょうか。

もっと早く出会っていれば、なんてことありますよね。

 

皆さんならどうしますか。

猛アタック?

手を引く?

 

 

 

ウルオスは前者。猛アタックしたわけ。

(アタックの内容は省略)

 

結果としては、もちろん上手くいかなかったよ。

(言い方は悪いが)途中まではすごく上手くいってたんだけど、最終的にウルオスが好きな人の相手まで出てきてテレビでよく見る修羅場突入。

 

それ以来、ウルオスはその好きな人とは話さなくなった。こちらから避けるようになった。

その人にとって、自分といることが良いと思わなかったから。

 

 

 

今はその人がどうしているか分からないけど

ふと考えてしまうときがあるんです。

あのときの選択はどうだったか。

 

相手がいる人に猛アタックしたのはまずかったのは分かっている。もっと早く手を引くこともできた。

そして、その後。修羅場突入した後。

 

こちらが避けるという選択はどうだっただろうか。

相手の思いはどうだったのだろう。

もっとやり方はあったんじゃ。

 

いろいろな後悔があります。

 

 

人生には選択を迫られる場面がたくさんあります。

どの選択が正しいかなんて分からない。

どうやってもどこかに後悔の念が残るだろう。

 

だったら自分の信じる道へ。

運命はいたずらっ子だけど、あとはそれに任せる!っていう人生も楽しいはず。

 

どんな失敗してもそこから学ぼう。

胸張ろう。

人生楽しもう。

 

皆さんの人生が豊かなものでありますように。

 

ちなみにウルオスには相手がいません。

募集中です。

 

眠すぎて何書いているかわからないので、寝ます。

おやすみなさい

 

明日はもう少しましなブログ書きます。笑