「考えるのをやめてはだめです。」
どうも、ウルオスです。
ツーブロック禁止の校則がちょこっと(?)話題になっていますね。
ちなみに僕は大学生の頃から教員2年目まではずっとツーブロックでした。
※ツーブロックやめたのは、別に誰かに注意されたわけではなく、なんとなく、です。
もちろん教員採用試験も、管理職との面談も全部ツーブロックで行きました。
服装だって、ジャケット持って行きませんでした。
みんなジャケット来て汗流している中で、一人わりと涼し気に試験受けてましたよ。
バッグも斜め掛けのバッグだったな。
周りからしたら「こいつ舐めてんのか。」と思われていたな、たぶんな。ごめんなさい。
でも猛暑日にジャケットまで着て、汗だらだらで面接受ける方が不快じゃないか?自分も相手も。
大学生の頃から、そうやって考えてた気がします。
お節介すぎるしょうもない校則、❝周りに合わせなきゃ❞というしょうもない雰囲気。
みんな一緒。そう、この世は(特に日本は?)同調圧力で溢れているのです。
もう幼い頃から「型」にはめられ、大量生産の一部になっていたのではないかとも思います。(この表現が適切かどうかは何とも言えない。)
世の中には「しょうもない」と感じることがたくさんあります。
そこに合わせるか、個をだすか。
あなたならどうしますか。
バランスが大事ですが、そこに「信念」があるかどうかが大切です。
さて、今日は以下の記事について。
先進的な取り組みにも❝待った!❞
特に今回は、中盤の”オンライン授業”などに関する部分からを取り上げます。
横並び意識の強い管理職や同僚の反対に遭い、居心地の悪い思いをした先生もいるようです。
臨時休校中にオンライン授業やオンライン朝の会の導入に向けて奔走してきた先生の多くが途中で挫折していました。
その原因の一つ(大半?)がこれです。横並び意識。
悲しいですよね。
「みんなを困らせてやろう!」と思ってオンラインを進めてきたわけではないはずです。
学びを止めない。さらに先へ。カルロス1世風に言うと…いや、とあるまんが風に言うと「Plus Ultra!」という感じで進めていたのではないでしょうか。
僕も校内で様々なICT機器を活用した授業を提案してきましたし、オンライン朝の会実施を実現するために奔走しました。
その度に、立ちはだかる「横並び意識」「ベテラン勢の壁」「振りかざされる”公平”という歪んだ正義」「損得勘定」etc.
ため息が出ます。
確かに従来通りは楽だけれど、今一度「それでいいのか。」と問い直したい。
メッセージから考える
――教育現場で同調圧力に立ち向かう先生に、メッセージを。
同調圧力に屈することは、思考停止と同じです。「考えるのが面倒、もしくは怖い、だから考えない」という発想で、先生が考えるのをやめてはだめです。考え続けて、勉強し続けなければいけないと子供に示すことが、先生の一番の役割。先生自身が思考停止に陥るなど、ありえないナンセンスです。人と違うことをしようとすれば、いろいろと面倒なこともあるでしょう。同僚が遅くまで職場に残っている中で、自分だけ「家事や育児があるので、家に帰ります」と言うことは難しいかもしれません。ただ、空気を変えていきたいと願うならば、人と違うことに耐えることが大事です。それから、人がそういうことを言ったときにも、「俺が学校に残っているのに、どうしてお前は先に帰るんだ」などと言わず、人が自分と違うことを許すことも重要です。自分が人と違うことに耐える。それから、人が自分と違っていることを許す。これができれば、きっといろいろと変わってくると思いますね。
記事の一部を載せます。
皆さんは、どのようなメッセージを受け取りますか。
「先生が考えるのをやめてはだめです。」
僕はこの言葉を特に強く受け取りました。
自分が「横並び意識」と捉えていることも、例えば管理職からしたら、周りと折り合いを付けながらも学校を支えていくための大切な要素、なのかもしれません。
「新しいものが良い」「古いものはだめ」ではありません。
いろいろな角度から見つめていかないと、他者の考えを受け止められなくなります。
考え続けましょう。自分なりの最適解を探し続けましょう。
いかに良さを見ていくか。
そして、お互いの思いが重なる着地点をどのように見つけていくか(折り合いをつけていくか)なのかもしれませんね。
終わりに
思いのままにいろいろ書いてたら何を伝えたかったのか分からなくなってしまいました。すみません。
とにかく、、、
同調圧力って少なからずあるのでけれど、一つの考えに囚われないで、ということは伝えたい。
考えて考えて、考える必要があります。
それでも、時には「ごり押し」で進めないといけないときもありますので、タイミングが大切。
文字にすると、自分の中の矛盾に改めて出会えます。
まだまだこれからもこんな「もやもや」と向き合いながら、自分の中に浸透させていくことになりそうです。
これもまた楽しいのです。
この過程できっと「信念」が生まれてくるのかなあ。
空気を換えるような人がたくさん出てきてほしいし、自分もそうでありたいと願います。
学校を風通しの良い場所に。
今日は、伝えたいことがまとまらないウルオスでした。
(いつもまとまってはいない。)
では、また。